手紙を友人とちょっとしておりまして、これは興味深いかな思ったので彼女にも了解して貰ってのせます。実は私の載せる気が、ちょっとさめちゃったんですが、彼女のほうは期待している様子。じゃ、期待にこたえてと。
一言、皆さんにお断りすると 私は彼女を中傷したいとか言う陰謀はまったくありません。私の性格として、中傷したいならまず本人にいいますから、ありえません。
まず、彼女の手紙の中の一文
この様な「日本人離れした質問」を出来るほどに日本人離れしてしまわれた麗子さんを羨ましく思います。
「日本人離れした質問」とはなんだったか?
ちょっと探したんですがどこだったか。。記憶によると、『何故ミクシーで本名は使わないのですか?』だったか?とにかく仮名のことでした。
彼女のその質問に対する答えは、やっぱりそうかと昔マイミクさんの一人から聞いたそのままでして、やっぱり皆そう思ってるのか。。依然として窮屈な社会だなあと思ったものでした。母親時代とまだ同じ。
でも一番最後にあった、
この様な「日本人離れした質問」を出来るほどに日本人離れしてしまわれた麗子さんを羨ましく思います。
はちょっと一言いいたくなったのでした。
===============私の手紙から加筆したコペ。
わたしは、『日本人離れ』したわけでなく、昔からこのまんまです。
これが日本人で、これは日本人じゃないという線引き自体に反応しちゃいます。
個人個人で人は異なるという認識 から判断===>『日本人離れ』した日本人も『日本人』なんですよ。
中略
『日本人離れした質問』という日本種は日本人ではないといってしまうことになる。これが日本人で、これは日本人じゃないという線引き自体に私の中で違和感を覚えるのでした。 個人個人で人は異なるという認識から判断すれば、日本に住んでる日本人と違う日本人も日本人なんですわア。
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日本というのは本当の意味でまだ開国していない国だと私は認識しています。
とかくすると、日本的なことは駄目で、西洋的に見習わないといけないという論理がグローバルだと言われたり、外国と比べて日本批判することがインターナショナルな人と誤解されたりします。
なんかそれって、ボタンのかけ間違いみたいな変な感じがするんです。
それは見せかけの開国人。
私の開国というのは、一人ひとりがまったく違った人間だと心の奥深くから信じることかなと。
だから一人ひとりがまったく違った意見を持っていると芯から思えるということかな。
そのうえで、議論が初めてできるかなと。デモクラシーもそこではじめてデモクラシーになるかなと。
心の奥深く とか 芯から思える と 足したのは理由があります。
頭ではわかるけれど、日本の中にいて罠にはまった状態の人はたくさんいるのでした。
もう一皮是非向けてほしいものです。
「あいつら日本人じゃない」
ついこの間、石原慎太郎知事が言った言葉で記憶に新しいですね。
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まだ大名がいてお上に従順な民がいる。その中ではコミュにティーの掟が厳しい。ファウージャの悲劇のように身体的ではないにしてもhttp://
そこから外れるとエタ非人になります。そして外れると、日本人じゃない、といわれる。つまりグループから外れてる。うちの子じゃないよと。
この線引きなんです・わかります? こちらと向こうを分ける線引きなんです。
では一人ひとり違っているんですから、違っていて当たり前なのであって、何で、いちいち線引かないといけないんでしょうか ? 答えは一人ひとり違ってはいけないと思ってるからでしょう。
さて今度はこういう 日本人皆同じだぞとしたがる、窮屈な日本社会に嫌気がさした私の友人がいいます。
===この様な「日本人離れした質問」を出来るほどに日本人離れしてしまわれた麗子さんを羨ましく思います。===
ここで、日本人離れという言葉が出ること事態が、日本人皆同じだぞとしたがる、窮屈な日本社会にいる爺様たちの罠にはまってるような気がしてならないのでした。
つまりここでも使われてるのは線引き。褒めたとしても、線引きは線引きであって何者でもないわけです。
何でこんなことをぎゃあぎゃあ言ってるかというと、私自身が長い間この罠にはまっていたのでした。これはとても薄皮で取り除くって結構時間が要りました。こういう意識を改革するのはかなり意思が必要な気がします。
そして何故日記にするのが億劫かというと、昔、親友の子に指摘して大喧嘩になったのです。怒鳴り散らされました。彼女の痛いとこだったかもしれません。
彼女は今nyに10年住んで日本に帰りました。
かなり複雑な気持ちだったようです。そして帰国子女のような痛みを日本で味わったといいます。
彼女の中でその薄皮は存在するのは知っていましたがその日本を訪れたときは指摘しないことにしました。日本で痛い目にあってるのに、余計混乱するだろうから。
私は仕事があったので早く帰りました。仏米旦那だけ彼女に残してきました。いろいろ案内してくれたみたいです。それで私のとこに帰ってきて言った言葉。
『ね~僕は彼女のこと魅力的だと思うし、好きだよ。でも一つ全然理解できないことがある。彼女は僕と歩いているとき鼻がたかげなんだ。英語も大きな声でジェスチャーつけて喋る。麗子といたときよりもっとね。あれが不思議だった。外人と話すということがステイタスみたいに感じているのだろうか?』
この薄皮とは
私はちょっと日本人とは違うのよ、という薄皮だと思うのです。つまりやっぱり選民意識であろうが 線引き は 線引き。
死んだ父もこの薄皮がありました。そしてそれを見せびらかしてしまうのがなんとも父の個性でした。外人と英語で話すというのを人生の真ん中にすえて生きた人でありました。
この線引きな様なものが、日本人である人と日本人じゃない人に選別し、
日本を村社会にさせ、個性の多様性や、言論の自由を許さないまだデモクラシーの意味さえ知らない日本村にさせてるような気がします。そしてこの村意識が、福島が危険な状態に今日でもさらされてるにもかかわらず危機感のなく政府に捨てられてるがままの一番の理由の根っこにあるような気がするんです。 ここを説明すると長いので叉違う機会にでも。
私は開国して欲しい。薄皮なんか取って欲しい。西洋社会に対する奴隷意識なしに個性あるそれぞれの個人がリーズナブルな政府と住みやすい社会の中で幸せにのびのびと暮らせるように。
そうなったらいいなと思うのです。