ニームが涼しいなんてなんかおかしい。。。パリのようなすごしやすい夏って、パリの夏気候だたのに。。なあんか変。まあ地球が変なのは40年前から知っていたが、人類は最後にならないと気がつかない。。基、最後の『日』にならないと気がつかない、最後まで何もしようとしないと説いたのは社会主義を愛した日本の我先生で、彼に感化されたことは大きい。名古屋の頭のいい子ばかり集まる中学の、なんとなく鼻つまみ者の教師が言ったことが一番正しい。
もうすぐヨガの時間だから付き合えませんといったら旦那は寂しそうに大工道具店に向かった午後。夫婦とも、ブロの死がふるふると寂しさを揺さぶるので、勤めて忙しくしている。私は近年にないエネルギーで電話しまくっている。
注釈==電話でフランス語ってなぜか大嫌い。なぜかと書いたのはny時代の英語なんて自分がしなければ誰がするって独り者だったわけ。訛りがあろうが、文法間違えようが、あんたの言ってること判らんといわれてもかけました。でもパリでは旦那という蓑があり、何とか頼むと電話してくれるので甘えきって電話が大嫌いになりました。そういうことで知らないうちに旦那が怖いという気持ちが芽生えたんだと思う。頼りすぎね。それで猫のことが後手に回った私の罪は大きいと思う。
後悔は反省に変えすぐ直す。えらいだろ。
どんどん電話してランデブーを入れどんどん夕食に招き、どんどんしなくちゃいけないことを片付け、どんどん縫い、どんどん縫い目を解き、どんどん買い物に行き、どんどんを惜しまず、、忙しいのに、それでもいつもさらさらと吹く寂しさはけっして消せない。
ブロがいない。
注釈『寂しさ』 ぐらいになったわけだからまだいいともいえる。チョイ前までは泣き叫びながら部屋を移動という激しい悲しさだったわけだから、、狂おしいとはああいうのを言ったのですな。今は泣き疲れかな?
いつものビオ屋にこんにちはといってみた。ビオは去年よりはやってる。。。お客さんが並んで、忙しくて長話も出来なくなってる。よかったね。
野菜の並べ所は今年からテレビの場所に変身。ケーブルの移動に成功した旦那をいっぱい褒めたら嬉しそうだった。