鯛焼きは4匹焼いて、あとでオーブンでこんがり焼きました。
こういう手も使えたわ。という成功例。 これだとバルセロナにもってこいといわれても大丈夫な手です。
ただ形は。。。何で最初うまく言ってばかりいたのに練習するほどうまく形が焼けないってどういうことでしょう?
昨日はシャンタルが来て夕食うちで食べました。それで朝6時に彼女はグルノーブルの友人宅に行きました。それでその友人と、ニームに行くらしい。ニームの私たちのアパートの鍵など取りに来るついでに夕食ってことになりました。
ヤッパ、慣れ親しんだ友人となると変な気使いしなくていいので助かる。
1 楽しくしようなんて努力要らない。
2 無理して笑顔作ることもない。
日本人同士だと、この2点、何だか こう 罠にはまるんですよ。
たとえ30年日本から離れた日本人種とあっても、なんか阿吽の呼吸でどちらかがこれをはじめると、どうもあわせちゃうって言う事なんです。ニコニコにコ、楽しいねえ って。
この罠にはまろうと避けると何だかいつも不必要に不機嫌な顔になってしまう。
ちょっと不機嫌なおばあさんみたいな。。おばあさんだから許されてるみたいな位置づけ。
これもまた嫌なのよねえ。だって写った写真全部婆みたいなんだもん。
なかなか自然に振舞えない元日本人の麗子さんです。
昔よりはかなりましになってきましたよ。日本のイメージから開放されてる部分があってね。
要するに、時間だけどね。
しゅうしゅうや、ひろこさんや、しげっちや、ぼうちゃんや、以下省略とあってるときって普通に写ってます。私の普通とは、年より子供っぽい感じ。これ若いという意味とは叉違うの。『子供っぽい餓鬼』って感じが実は私の一番自然で気持ちがいいスタンスなんです。
フランスって、私はアメリカよりあってます。
アメリカって何だか友人の数は多かった。でもすごく淋しい関係なのよ。 友情はなあんか上っ面だけ。フランスに来てから、特に夕食会ってのが好き。たぶん5時間ぐらい。なんか本音できちんと向かい合う時間が濃縮されていて好き。そうするうちにほんとに信頼できる関係になるわけ。たとえば、なんかあったら、この人たちに連絡すれば助けてくれるという確信があるわけ。アメリカでそういう関係築けたのは2人ぐらいしかいないかな。フランスでは、旦那の別れた奥方たちとか、妹とか、ガツってくるものがある。親戚だからとは言わんでください。日本では私の親戚は敵でした。最後の頼りの味方のおばからも『日本にはもう誰もいないんだと思って生きていきなさい』といわれたのよ。彼女が私を捨てたってことじゃなくて、彼女風に言うと遠くの親戚などあてにならないって事がいいたいのだと思う。
でも親戚は置いておいて、今は私の心情として、日本にはこういう私の友達がいるといえるようになりました。それは嬉しいですなあ。『もう誰もいないんだ』から『友達がいる』に変わりました。
私は、皆さんに助けられていきてるわけで、そのお返しとして、来る人にはちゃんとガツっと助けなければいけないなと思ってるわけです。時間というのは最高の贈り物でしょう。時間をケチらない人でありたいと思ってます。
さて、昨日はかなり最初からドジりました。なんと、お買い物のあと掃除からはじめてしまったのです。ダダダダーと掃除。それから鯛焼きから焼き始めたのです。焼いてるときにアペタイザーに出す料理の野菜刻んでました。鯛焼き2回目がやっとできたときにもう8時15分で、シャンタルがきちゃった。ゲゲゲとあせったら、彼女はちょっと出かけて30分後に叉来るからとのこと、安心して何とか夕食間に合わせたんです。よかった。
ベルナデットが持ってきたブルゴーニュのワインをあける。
シャンタルが持ってきた世にもうまいサラミをいただく。
野菜の日本風炒めも単純だけどよかった。京都でかった美しい箸を出す。
チコリのハム包みベシャメルソースがけがうまくできました。これは簡単で失敗がいつもない。
コッドポーは旦那の焼き方悪かった。ジュシーじゃなくなってしまった。
チーズ。。すごくおいしいの奮発した。満足じゃ。
鯛焼きにお茶===鯛焼きはおいしいと評判高し。シャンタルの舌はすごく信用できるのです。
ビオのチョコラに珈琲。東京の友人が持ってきてくれた鹿児島の焼酎を試飲。=つよ~い。
日本にいったときの写真見せたり、ニームにいったときの写真見せたりして楽しいひと時でございました。やっぱしよいなあ、、こういう時間。
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