随分書かなかった。何故かと言うと、旦那が上海でたおれた。それは7月11日のことで7月13日に連絡があり、そのときは、外人専用電話がついた高級部屋に入れられていたので、室内電話で丁度手術に向かう前に話せた。死ぬかもしれない。。そういう内容だった。直ぐ来てください。ドクターにもそう要請された。それと同時に保険がひとつしかなく到底カバーできる金額にはならないので保険を探してくださいという内容の手紙がついた。保険を探す事一つでも大変な作業だった。何も病気の説明がないまま、お金の請求だけが毎日来た。お金の請求だけで生きてるか死んでるかもわからない。要請するとドクターの電話番号を頂いたが、中国なまりの英語で専門用語を言われてもちんぷんかんぷんだった。領事館なんか全然助けてくれなかった。休みに入ってしまった。パリ祭ってやつです。幸い友人のもと旦那が上海にいたので電話したり偵察にいってもらったりした。保険を探す事におわれたが、最後にわかったのは、もうこれ以上保険はなかった。あの時寝る間も食べるまもなく何時も何かをしていた。
青天の霹靂とはこういうことだ。
そうしていい友人たちだけには恵まれた。友人でなかった人でさえ、毎日のようにお見舞いに行ってもらった。それから私はお金の交渉をはじめた。1000万円ほどの額がどんどん落ち最後は500万円ぐらいになった。旦那は3回大手術をしたらしいこともわかり、写真を撮ってもらってそれがホントに私の旦那であるかも確認できた。まだ山のようにいろんなことがあったのだが、もう書きたくない。端折る。
結局お金は払った。
そしてドクターからはフランスにかえっていい許しがでた。許しというよりも、リハビリのあきがなく、リハビリはフランスのほうが中国より格段優れていて、無理を押してもかえったほうがいいという判断だった。
お金がまだつかない。
それは私のバンクの馬鹿が、こんなたくさんのお金を中国に送金するのはおかしいとストップしたのだ。それも3日間も。直ぐに怒鳴り、とにかく送ってもらった。領事館なんか全然助けてくれなかった。何か聞くと出来ないの一点張りだったから、大統領や首相や海外ミニスターに手紙を書いた。といっても友人に説明して書いたのは彼女だ。運よく大統領から手紙が来た。それを利用して尻をたたくと直ぐ領事から返事が来た。えらい違いだ。
旦那は生きて帰ってこれるのだろうか? 病院食物凄いもの食べさせられてるらしく、食べるとはくらしい。毎回その調子だから、体力は失われ、気力も落ちている。
お金がつかない限り次のステップには進まない。病院側は物凄いメール攻撃だったのだが、今は何一つ書いてこない。電話しても通じない。でも私は中国にいけない。お金一つにしたって中国に行ってしまったら何一つ動かせない。電話もない、メールもない。旦那の横にいるだけで何もできなくなってしまう。つまり行ったら、私自身も旦那と同じ境遇になる。彼を生きている世界につないでおくために彼に電話してもらったりしている。私の電話からは何故かその番号がかからない。
一体この悪夢は何時終わるのだろう。
それと同時に、アパート購入最後のペーパーワークもしたし引越しも一人でしたし=片付けも一人でしている。=引越しやにひどい目にあったがね。。いちよう盗まれたものはなし。アパートは好きだ。落ち着く。でも猫も旦那もいないかたずいていないアパートに嵐が来そうだったので片付け仕事はしなくて帰ってきた。寝ればいいか。。。そういえば5時間ぐらいしか寝てないかもしれない。今日の朝は、またお偉いさん一人に手紙を書いた。どうぞ助けてくださいまし、と。友人に言わせると私のフランス語はよくなったそうだ。そりゃそうだろうさ。
つかれた。嵐と一緒に眠ってしまおう。8月8日。悪夢は1ヶ月でもないのにもう3年立ってしまったような気がする。私の前には5箱の薬が並んでいる。眠気が襲ってきた。これはチャンスだ。
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