駄目だしがなければ
多分これで完了
こうはびっくり、、、ローランから写真が来たのだ。絶対、10月になるだろうと踏んでいたら、、そうだ彼は終わらせたがっているんだった。最後にブロックしてるのが自分では困るんだろうなあ。
じゃあ、やらねばならなくなった。あーあ。
でも今日終わった。
要望されたより、写真をたくさん入れた。フランス語が読めない人がアクセスする可能性が高い。だってフランス語の安い教室があるから。彼らにしてみれば、写真がとっても頼りになる。それは私が味わったことだから痛いほどわかる。話せない人は手探りで来る。
フランス人は文章だけでいきたがる。彼らはフランス語が大好きだから。それもいい。
でもこのサイトは、フランス語が得意じゃない人がわかりやすいようにせねばならないと思う。と言うことで私は自分で勝手に写真をいっぱい入れた。
駄目だしがあり、取り除けと言うことであればそれでいいじゃないのよ。
しかしながら、仕事のやり方が効果的ではないでないフランス人の仕事にブーブーいったりする私であるが、、
だって、一人の人が中に入れる文章送る=1バージョン
そうしたら違う人が文章を添削して送りつけてくる。=2バージョン
じゃあ、これで訂正終わりかと思って、私はサイト作る。=3バージョン
作ったら、何故かメンバーの一人がまた、文章を直して送りつけてくる。直す土台は=1バージョン だから=4バージョンが出来る
これはいかんと思い、会議を促す。2人しかメンバーが集まらない。そうしたらまだ訂正してない人が3に訂正しだす。=5バージョン
と言うことで私はまず5バージョンすべてをチェックしないといけない立場に立たせられる。
黄色とか赤で直してあるからといって安心してはならない。つけ忘れなんてざらにある。
それから、なおしわすれってのもざらにある。==この場合は明らかに直し忘れの単語だけ私が直す。
なんでフランス語が外国語の私が全部つき合わせてやるんだろと言う疑問は大有りだが、
彼らにやらせたら永遠に終わらないもん。要するに彼らは、連帯作業は得意ではない。
連帯作業が得意と言えば日本人に右にでるものはいない。
阿吽の呼吸でわかってしまう。私はアメリカでいろんな人種をアシスタントさんに雇った経験上これはかなり言える。
ところがところが。。日本人は阿吽の呼吸の連帯作業は上手い。これは多分、右脳だったけ。。感覚が長けてるんだよね。
でも左能の理論能力にかけると思う。
私がまさにその日本人代表みたいなもの。
お客さんには、特に右脳日本人が多い麗子さんであった。。。麗子さんも左脳が長けていないのに
メールで突然変えられる会話にぎょっとしたり、
男は黙って一言だけのメールに頭がぐるぐるとなる。
この人たちは感覚的に文章書いてしまったりする人。
ふろ めし ねる の世界。
日本語のたくさん省ける文法がそれにまた拍車をかけて、わけのわからぬメールとなる。
これだと雪だるまのように問いかけをしなくてはならず、かえって向こうも迷惑だろうなあと思う。
でも質問しないといけない。質問しないと後で、とんでもない大きな誤解になるからだ。
そこが一徹さんから学んだとこだ。
あの人の言ってることなんて誰にもわからない。すべて省略だから。ふろ めし ねる の世界。でも判らなくて流しちゃうと一徹さんからすれば何度言ってもわからないのかと頭に来るわけだ。ここで大きな誤解が生まれる。(でもそこで、彼のすごいとこは、首切らないで 何か活かす方法はないものか考えるとこだ。)
でもそれにしても、山のように質問するのは精神的に疲れる。
まず自分が悪いのじゃないかと落ち込む癖をなくしたい。
わからないと言うと相手を傷つけるんじゃないかと言う心配も捨てたい。
その上に、なんで質問ばかり書かなければいけないの、ちゃんとかいてくれればそれで済むものをと相手を責めるのも捨てたい。
感情なしに無心に質問できる人がいる。それを私は学ばねばならない。
フランス語だとそんなのはへーキで質問するんだから、日本語だってできるはずである。
私は日本語の儀礼に振り回されすぎであると思う。
フランス人だと私は寛容になる。それに向こうもこちらのミスには寛容であることを知っているから。と言っても私もフランス人であるが。。
私は日本と聞いただけで頑なになる。実は、日本人の人はとても寛容だ。でも私は頭の中の思い込みで寛容ではないと思い込んでしまう。ここがまだまだ日本病の治らぬとこなんだろう。脳の中から昔作った勝手な思い込みをけさねばならない。
確信に基づいて発せられるNOは、
満足させたいがために、或いは、問題を回避するために発せられるYESよりはるかによい。