残り物とビリヤーニマサラを混ぜたらかなりおいしいビリヤーニご飯が出来上がってしまった。
お昼ごはんは、ビリヤーニご飯
ここで、ニームの写真に負けじと取ると失敗する。コンペテイションは私はまったく向かない。コンペテイションをやっていい結果を生んだことはない。パリのご飯はパリのご飯らしく盛った写真をとればいいと今日やっと自覚した。
「パリらしい」それはパリの私のキッチンからしか出来ない写真っていう意味だ。
ニームの色とりどりの美しさを懐かしんでそれを真似ても写真は失敗するのみ。
写真はおいしそうじゃないけど、すごくおいしかったなんてキャプションをつけないと駄目な悲しい結果を生む。
これはこの記事
http://agora-web.jp/archives/1479463.html?
を見ると同じ事が書いてある。
===新社長の平井氏からも「ソニーらしさを取り戻す」という言葉がよく発せられ、株主もカスタマーもそれを期待しているようだが、いったんこの便利で曖昧な「ソニーらしさ」幻想を破壊して、21世紀らしい新しいソニーらしさを再構築することにこそ取り組むべきではないだろうか。===
自分が作るもの
自分が縫うもの
自分が作るサイト
なんかもそうだ。
自分のやった中でこれはすごく良かったから真似しようと思ったら失敗に終わる。昔した「自分らしさ」を真似しちゃだめ。昔した作品の技術は取り入れてもいいから、こうしたらもっと面白くなるかもしれない という気でやらないと駄目だなと。いつも前向いてないと駄目だなあと思うわけ。
自分らしさ。。。
ただ自分らしさだけ追って自分の象牙の塔に閉じこもるのもねえと思う。
クリエイターってそうなりがち。旦那によく指摘されるけどね。
その旦那もアランとミッシェルダモンにこの前夕食食べながら意見されていた。友人同士の話があると、気がつくと、その話題も。。僕の場合はね。。といって自分が主語になった話にすりかえられるそうである。
耳の痛い話である。私なんかそのクイーンといえる。何の話も、私はという一人称にするりと変えられる才能がある。
そう思いながら、、私の一つだけの3人称はいつもフクシマのことだ。フクシマから1年半、よくもまあ、フクシマのほうばかり見て来れたもんだとあきれたりする。反対にアラブ問題は無知の無知。
私の4畳半の窓は小さいけど、いつも開けている。それだけは誇っておこう。