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2016 新年の独り言

par heyreiko 2 Janvier 2016, 14:47 Michel

2016 新年の独り言

旦那が上海に一人で行って上海に向かう列車の中で倒れてから、大変皆さんにお世話になったし、友人、または新しい友人、家族に大変お世話になった。まだ有難うが返せずにいるけど、いつか。1000回の有難う。

さあて色々あったが、、かなり箸折る。何が書きたいかというとただの独り言。
中心の一言。

仏旦那、あいつはめちゃ強いということだ。

身体的な苦しみは毎日続いている。今現在も。ということは、苦しみは違うだろうが、約、6ヶ月間苦しんでいる。人間は身体的苦しみを与えると2ヶ月後には死にたいと思うらしい、、と読んだことがあるが、死にたいといったのは一回きりで、後は、ただ単に苦しみに諦めず、しかも怒りながらーー怒るというのはかなりのエネルギーが要るものだ。===ひたすら待っている、、そんな感じがする。

私は日本に生まれて33年その文化の中で過ごし、いま現在は、20年以上、日本の言う「西洋」という場所で暮らしている。アメリカとフランスの違いをさておいて丸ごといっしょに「西洋」として、日本の文化と比べると、日本は結構しょっぱいこと言ってオヨオヨ泣くことが許され歓迎される文化であるなあと思う。私という人間は日本、アメリカ、フランス、3つの文化をしょって生きていて、オヨオヨ泣きたくなると日本人の友人に電話している場合が多い。ただしこれも括弧がついて、海外で暮らしている日本人の友人のほうが自分風の日本的泣き言がいえるような気がするわけだ。しょっぱいこと言ってオヨオヨ泣くと日本に住んでいる友人などには慰めてもらえて、その慰めがあまりにも憐憫になりすぎて、そして長らくその憐憫が続いて、西洋の規定=過度な同情は侮辱に値する場合がある==に「自然に」引っかかってしまうのであった。「自然に」というのは、日本で育ったさいにも私の母は、病気になっても同情してくれない人柄で私を育てた。そんなことで泣いてどうするという教育だったので、結構強がりに育ってしまった。母にしてみれば小さいときに急に病気がちになった私を舐めるように甘やかした祖母とのバランスをとろうとしたように思える。だからそんな強がりの私が非常にあう西洋の文化のなかに入れてラッキーだった。好まずして海外に住んでいる人の中には西洋文化が合わなくていつも愚痴っている人が少なからずいるから、、そしてそれは日本人とは限らないで、全ての移民問題の根本だったりする。話を元に戻すと=過度な同情は侮辱に値する場合がある= だから、私たち友人も私も旦那に対して、過度な憐憫は控える。頑張れとも過度にはいわない。いっしょに泣くのはクリスマスとフランスの戻ったときと新年にちらっと。感情はバット出てきて直ぐに正常値になる。怒るときでも泣くときでも同じ発散の仕方。

すごく大雑把なことをいえば、日本民族のほうが感情の細やかさ なよやかさ 襞の多さにかけては天下一品である。だから悲しみの表現もことさら襞の多さに感心する。。そしてその長さにおいても感心してしまう。ドバーとは出さないからちらちらっと感情が長い。演歌だろうが日本の曲を聞いていると、、そういう湿ったのはこっちだとないなあと思えるのである。西洋人のほうが単純に思考する。。単純に思考するから強く見える。たとえば、パリでテロがおきた時、真っ先に「負けないでデモしよう」と街頭にとびだしていくつよさ。パリで2回目のテロデフランス中に「寒かろうがテラスに座って私たちが負けてないことを示そう」なんて不屈の精神が見えるもんだ。日本はテロが起きてから日本からの観光客は激変。なんと国別で一番観光客がパリ入りをひかえた国のトップらしい。怖いものは控える。ここでパリに行ってテロにでもあって生きてかえったら、国中に意地悪されかねないとでも言うのか。死んで帰れば歴史的憐憫が待っているが。。。この部分に関してはちょいと日本という社会の文化がいやになるし、イラクの人質事件で私はフランス人にきり変えた日本人や~めたフランス人なので、つい口が辛口になる。が、イラクの人質事件も福島の今の汚染ばら撒き見て見ぬフリも、そういう全てのいやになる事件を頭から差し引けば、日本文化=日本社会ではない==は世界に名だたるすばらしく繊細でそれでいてシンプルな美しい文化だ。人間というのは文化の生き物である。何でも犬は国が違っても時代が違っても同じようにおしっこをするが、人間というのは文化によってトイレの形式さえも違う文化に左右される動物だ。

日本文化は特筆ですばらしい。

この頃お料理クラブにfbで入っていて、お正月はすばらしい御節の数々が写真に載る。これもすばらしい日本文化だ。が、実は、子供のころはお正月が大嫌いだった。御節も食べるものがなかったし、店は閉まるは、挨拶に行かされるは、そうするとお行儀良くしてないといけないし、嫌いだった。でも実はお年玉を小さいときから貯めて16歳のとき、西洋に旅行が出来る金額になっていて、それで始めてパリを訪れて恋に落ちたのも。。。お正月のおかげだけれど。御節にいまさらながらあこがれる外人になってしまった。あの味は餓鬼にはわからん味だよなと思う。お正月というのは、大人のためにある子供文化が優先される近年の日本社会では珍しい行事であるかもしれない。今現在フランスのニームというところにすんでいて、お正月の気分だけ満喫している。つまり、何もしてません、心配もしてません、外にも買い物に行きません、時間気にしません、そういえば夕食とかは作んないといけないけど、とりあえずは心配しない。
「いたかろうが寝てないで起きて座って私が負けてないことを示そう」としているようなフランス旦那を横目で見ながら、「いたかろうが、今は正月なので心配しません」と今安らかな気持ちで座っている日本育ちの妻がいる風景。想像できますか? 御節はないけど、日本育ちの妻はなんとなく正月の精神を感じてるのであった。


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